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最後の晩餐
2010/11/26 03:06 AM
最後の晩餐
以前、久米宏キャスターが番組の中で時々然るべきゲストを呼んで死がみえた時に最後に食べたい物をテーマにしたコーナーがあった。
若い人は日々あまりそんな事は想像する事も無いかと思うが何かの折りにアレコレ考えたりする事がある。 
第一に何が一番常に食べたいか、手間とか何処其処にいかなくては成らないとか、嫌に高いとか色々条件的な事毎は一切抜きにして直感に近い感じで出て来る物が一番だと思うけど、人は誰も3才から6才迄には脳は出来上がると云うのが定説とされていて6才迄に食べている環境といったら家庭に他ならず、所謂おふくろの味と云うのは人が考えている以上に深く深くインプリントされていて抗し難く人生を支配している、しかし。
味も含めての話しになると思うがイギリスの文化人類学者リチャード・ドーキンスの教え子の1人と云えばいいのかスーザン・ブラックモアが著した《ミーム・マシーンとしての私》草思社刊、のあちこちを引用しながら考えてみたいのだが何よりも先に遺伝子とはDNAとは、分子の螺旋の立体構造も其の数値も遺伝暗号の蓄え方も其れが複製されてタンパク質に変換するメカニズムも繊細に解明されていることは周知のことだ。
人の社会的行動や文化はネオダーウィンニズム(生物学の原理)で全て説明が出来るされていた。
しかし今日の現実社会は複雑に絡み合い生物学の原理だけでは説明出来ない文明社会に進化した状況にある。
1976年《利己的な遺伝子》紀伊國屋書店刊、でドーキンスが遺伝子とは別の自己複製子、つまり文化的情報の遺伝子単位として提唱した概念をMEME(ミーム)という。
サルから人え人間がその後の長い進化を自然淘汰というプロセスを経て脳機能や社会行動がサル若しくは其れ以前の生物から遺伝子という存在の証明に依って人間が生物進化の産物であるという科学的な基本は否定し得ないが、ドーキンスは其れとは別に文化的な遺伝子複製子(ミーム)があるという訳だ。
生物学者からすれば実体のない観念的産物ではないかとの疑念は当然とも云えて、解明されている遺伝子のDNAと違いミーム自体その基盤大きさメカニズム等々何一つ解明されていない、つまりは単に机上の空論ではないのか。
ブラックモアはミーム学の体系は仮定の上に建っている事を承知で新たに仮説として提唱した。
彼女は人間の模倣の能力を根拠とし模倣に依って伝達される何であれミームだと定義する、そして模倣を指示のコピーと産物のコピーに分けて(音楽で言えば楽譜と演奏の区別)、人間に模倣の能力が現れると時がミームが進化をスタートするとし、複製の正確さ、多くのコピーをつくる、その寿命、其の三つが要点であると。
其れ等の基本原則を脳、言語、性的習慣、宗教等のなどの起源と進化を検証し、全ての文化的現象はヒトの脳を舞台に自らのコピーを増やさんと競いあう(利己的なミーム)働きの結果でドーキンスの云う生物の進化は(利己的な遺伝子)のあいだの自然淘汰であり生物の体は其の乗り物(ヴィークル)に過ぎないと呼応する。
更に人間の知的活動がミームに依るならば意識や自己も例外とは出来ないと、自己なる感覚は単なるミーム複合体にすぎず、不変の自己など存在しないと。
自己否定し脳にミーム複合体を全て排除して何が残るか、虚無?、否一切の雑念(ミーム)を振り払い無我の境地こそ正しい判断が出来ると。
芸術家やアスリートが言うように信の創造性は、あらゆるミームを排除した時のみに成立するしという。
ブラックモアによると印刷、電話、ラジオ、テレビ、ファックス、インターネット、等の情報革命は究極の複製機構を生み出そうとするミーム進化の副産物に過ぎないという。
今ひとつ疑問が残るが仮に仮説と終わったにしろ説得力大で考えさせられる。
最後の晩餐で死に際して一番食べたい物は何か云々を軽く書こうとしていたのが、お袋の味からDNA素っ飛んでしまいましたが、私の最後の晩餐No1は 蕎麦 です。
車で5分程の所に 翁 蕎麦が出来て食べに行きました、まあ悪くはないなと思いました、蕎麦には煩いのです。
出来たばかりなので早々文句は言えない、翁は高橋さんが杉並でやってた頃訪ねた事がある、行列が出来ていて蕎麦に行列かいなと思い食べたが確かに遠路訪ねただけはあった。
ただ高橋さんはどうも蕎麦には 蕎麦道 なるものがあり何処迄も探求すべしと言った考えがあるらしく、後に蕎麦や使う葱も自分で作らないと我慢がいかなかったらしく信州の方に移ったと聞いてはいた。
名だたる蕎麦師には弟子も寄り全国に広がって行く、東京では品川翁にたまにだが行き、美味しく頂いていた。
高橋蕎麦道からすると当然なのだが杉並がそうだったがメニューが もりとかけ しか無く時にもっとと蕎麦道関係ない私は思ってしまう。
所により客筋は色々種物も食べたい筈で商売を先にすると怒られそうだが、此処等は難しいところだ。
個人的に関東で好きな蕎麦は柏にある 竹やぶ でもりも美味しいが何と言っても田舎蕎麦を辛み大根ですするのが一番だ、田舎と言うと太く切ったのが多いが竹やぶのはシッカリ細く微妙にそば殻が混じり喉を越して行く時の何とも言えない蕎麦味と香りがない混ざり実に美味しい、是がNo1。
後そばがきも蕎麦の実を残した荒めのとメレンゲみたいにふんわり柔らかなのが有り共に美味、納豆蕎麦も彼方此方で食するが竹やぶが一番だな。
東京では家から近くプラチナ道りの 利庵 には良く通ったな、美味しいのは鴨せいろに鴨南に熱いかけの上に大きめの海苔を敷き其の上に小柱をピラミッド状に乗せた、あられ蕎麦、だな卵焼きは何度も言ったが少し甘め天ぷらも多数ある。利庵は昼時に夕方は比較的混むからゆっくり常温の酒を台抜きの鴨南なんかをすすりつつやりたい時は遅い午後の三時半辺りからがいい。
品川と云うより大井町になるかな 布恒更科 此処は蕎麦も種物もツマミもいっぱいあって楽しいよ、時期の大振りの牡蠣を乗せた熱々の牡蠣蕎麦もいいし深川蕎麦といってアサリの剥き身をどっさり入れ三つ葉の香りとよく馴染み熱々の汁にアサリの味が溶け出して美味しいよ。
今はタイだったかに行ってしまったが恵比寿に竹やぶが有ったのが六本木ヒルズに移り後を弟子の1人が 玉笑 という蕎麦が有ったが此処は無くなったから言う訳ではないが良き才能を感じ将来が楽しみな蕎麦だった。
白金商店街の 三合庵 も竹やぶの弟子筋で丁寧でいい仕事をしていて玉笑と何方がどうと言うより好き好きと言った所で
文句無しである。
とまあ切りがない、しかし炭水化物には違いなく昔は竹やぶの田舎を五枚とか食べていたが・・世の摂理とはいえ年は取りたくないねえ。
ミームだが些か短絡に過ぎるかもしれないが、現中国はミーム大国と云えないだろうか、単に知的財産権に関して中国はグローバルスタンダードからすれば殆ど無視に近くグローバルな基準になるには尚半世紀位掛かるかも知れない、単に物の模倣と云う事もそうだが13億の脳をミーム論としてみると空恐ろしい状況も想像出来てミーム視点から中国を図るのも有りかなと。
Non Exit
2010/11/23 05:44 PM
Non Exit
先に(10月22日)書いたが尖閣中国漁船の映像はヤッパリと云うか内部告発という形になって流出した。
此のインターネットの時代ある意味出てこない訳がない。
以後続いたテンヤワンヤは此の国のシステムと政治家を含めた役人の資質を証明する事になって謂う言葉さえ無い。
戦後65年世界的にも例のない一党支配が続いた続かせた民も漸くに漸くにして政変を求め、私自身も生きてる間に一度でいい非自民の為政のもと暮らしてみたいと願っていた。
民主党が掲げた公約はマジかいなと云う程の美味しい羅列でこいつは眉唾物だと出来る訳がないと見ていたが矢張り現実離れと云うか無理だ。
国民1人に600萬だか800萬だかの借金を予め背負せた自民党の為政と何ら変わらぬ否それ以上の金を必要とする絵を公約として政変は成った、しかし民主党は膨大な借金から全てを其処から発想しなければ成らぬものを目先の猫騙しで権力に付いた。
国民は詐欺に遭ってる様なものだが天に唾をするとは此の事だ。
勿論民主党が直ぐに衰退一直線の此の国を右上がりになんて幻想はしないし選んだ手前国民も相応の辛抱はするべしと考えていたが現実はあまりと云えばあまりで、自民党の為政は明らかに悪であったが民主の現実は為政する首相以下の能力の問題で資質以前の話しだ。
たった今衆議院総選挙をしたとしたら明らかに自民党政権復活と成るだろう、是だけは何としても堪忍して欲しい。
民主が掲げた政策の柱に官僚の権益権力を削ぐと云うのが有ったが是も強か極まりない官僚相手に政治家がしかも民主議員が果たして通用するのか時間が証明するとは思うが見えている。
日本は二重構造国家で霞ヶ関と云う国家が永田町に住む国会議員と云うタレントを使い衆愚に満ちた鎖国DNAの一億三千総白□族と云う民を飼育していている訳でバーコードと毛染めのハゲタカの巣に住む奴等からするとこんなにやり易い怒らない民は世界でも珍しいと考えている筈だ。
民主党の仕分けゴッコも結局単にスタンドプレイでしかなく法的な拘束を先ずやってからの話しでメディア用の徒花でしかない。
一体全体どうしたらいいの全く世界の経済を始めとする状況は暗黒と言うか暗澹たるもので独り中国と俟つわるASEAN 圏の国々が息をしている位で、中国自体も前近代的な捩れ国家構造で13億の民を養い続けるのは何時迄出来るか繁栄は何時かは爛熟し衰退を迎える,何れは内から外からのプレッシャーにより国家構造の変化が畢竟必然の事と成る筈だ。
尖閣問題で露になった日本と中国の事実、現政権及び官僚機構に公務員の機能能力に安い踊りしかしないメディア、何処にもサンデル教授ではないが本質としての 正義と倫理 の欠片も無い。
勿論、世は綺麗毎でいく訳は無いがこんなに一億総閉塞していては息苦るしくて仕方が無い、人として民族として国家として凡そ回転しているとは云い難く、来る日も来る日もワンパターンを繰り返すメディアにも疲れ果てる思いで此の国を逃亡しない限り人としての営みは無理と言うもので一体何処え・・・。
此処からの記述は笑い話か悪い冗談として頂きたいが近未来に何処か何か想像をしたとしてのほんのお粗末をば。
第一に首相も含め政治家及び官僚は勿論都道府県の長に至る迄行政に於ける法的な業績基準に達しない為政者は
外し其の多くを能力優れし外国人のプロフェッショナルを登用しアマチュアな人材を尽く廃し、其の為の有無を云わさぬ強力な立法をする、特に外務省は殆ど外国人で良いのでは始めに協力な雁字搦めな条件をインプリントした上で。
第二に北海道と沖縄をアメリカに於けるサイパンのような緩やかな統治地域とし基本的には両県は独立を目指し沖縄はアメリカの対中国政策の要としての沈まぬ航空母艦沖縄の地理的条件をトコトン中国とアメリカを軍事及び経済を両天秤に掛けGNPで云えばアメリカ中国の上を行く現実を目指す1世紀位は目先の非現実的な主義主張は捨てる、武士は喰わねどの時代ではないのだ。
国家の餌食なる前に国家を喰い尽くせ。
同様に北海道もロシアとアメリカに中国を三股に掛けてやりように依っては北方四島奪還も1世紀もすれば不可能とは云えないのでは,当事者からすれば生きているうちにはは当然だが鎖国DNAの現為政者の群れではハッキリ言って無理、もう其れはいい加減解ってもいい筈。
旧ソ連邦が崩壊したのはアメリカとの軍拡競争に負けたわけで周知の事だが況や金の競争にソ連は破れた訳だ、凡そ金は目的の為の方法であって金自体が目的になってしまった資本主義は人社会に取って限界にあるのでは。
第三に残った本州九州四国は最低5県に分割し首都を10年毎に5県を移動する、役人は勿論労働者も職種と能力年齢により希望は聞き取りするが基本的に半強制的に5県を移動する、基本として故郷意識を廃し65才以上に帰郷を考慮する。
2年毎に5県の業績を多様な角度価値から計り成績とし競争を促す、何やら社会主義の匂いがして来て嫌な感じだが第四第五と有るが何れ又。
ドイツの哲学者O・W・シュペングラーの大著《西洋の没落》に弥生時代を指して日本の国と云うのは中国と云う太陽に照らされた(月光文明)であると言っている。
自ら光り輝く事無くあくまでも中国に影響された存在と云う訳だ、此の伝でいくと戦後の日本はアメリカと言う太陽に依って元気にも病にもと、巷間云われるアメリカがクシャミすると日本は風邪っ引きとなる、此の有り様は65年の長きに渡り沖縄に顕著だが未だ此の国日本は独立していないのでは、昔から良く云われるアメリカの一番西の州、詰まるところ其の本質実態は植民地やも知れず結局この先何世紀かを想像するに憲法九条、非戦非核三原則の問題に必ず突き当たる、しかしヒロシマ長崎の犠牲者遺族被爆者が生存する間とこの先何世代を超えて行けば良いのか本当の独立には、言いたくないが軍事的独立はどう論理的に考えようが必要となる。
其れには膨大な経済的裏打ちが必然と成る、其の時始めてアメリカから独立云々が出来る。
しかし今の様な訳の解らない鵺のようなオポチョニストの国の方が情け無い程の右往左往しつつも偽物の平和と云う事で民の資質根性を思えば佳しとするしかないか 。
青年
2010/10/26 11:43 AM
青年
以前、作家伊集院静と何処かは忘れたが飲食の場だったと思うがウェイトレスか黒服だったか若い男に彼が声を掛けた。
《青年》と。
何とはなしに伊集院の青年と云う言葉が言葉として使う感じが日常に無いせいか妙に響き耳に残った、些かの耳新しさと共に。
伊集院静という人間に有る意識がそういう言葉を使わせる訳だが、青年たる者よ青年で有る事の精神的シズルを持ち生きてくれよ、と云う願望が込められているのではないかと云う気もしたし、唾棄すべき奴等よ侮蔑を込めて、かも知れない。
さて、昨今の青年期にある青年達は青年してるのかな、何も此処で態々アカデミックにしかも教条的に青年論とか云いする気は毛頭無いし、時代のバックグラウンドが違い過ぎるとか云々といった当たり前な論法もしない。
草食男子とか始めて聞いた時には単純に草喰うってどういう事、草は吸う物でしょとか思ったり訳判らなかった、オジサンだよね。
草食男子をテーマにTVでリポートしてたカップルは丸で男女の関係って気配も無く男はゲイでも無さそうだし体よく女同士って感じだった。
女の子は男が買い物にも付き合ってくれるし極都合がいい感じでどちらかと云えばサラリと女の子の日常に溶けている男の子の方がブラウン管では格好よく気配していた、反面女の子はダサかった。
此の男の子は知ってヤッテいる気がしたな草食の仮面で女の子を見下ろす小さな快感ゴッコを、有る意味嫌みなしたたかなガキだ。
多分此の男は自分を相手、もっと云えば世の中に晒すのが恐怖に繋がるのを知っているのだろう、故に己の人化、他人化つまり草食人えの擬人化ないし
擬態。
5年も前になるかな40年下の子と3年程付き合った事が有るが、彼女は少女期に父親のDVを受け結構な鬱を生きて来ていて2人の自分を持っていた、1人の自分ではDVに耐える事かなわず、もう1人の自分に移る事によって激しいペインに耐えた、移れば何の痛みも感じ無かったと言った。
連れて行った医者が吃驚する程の鬱の薬を飲み続け、時に酷く死を欲しがり孤独を好み昼夜逆さに呼吸し時に風呂場を真っ赤に染め厄介な自分を生きていた。
其れでも奥底に私も適わない強靭さを持ち私が部屋で静物写真を撮っていると写真用の小物や画材を使って絵を描いたりしていた、少女が嬉しそうにママゴトをしてるみたいで、可愛かったな、そんな彼女から妙にアーティスティックな匂いと気配がして彼女との距離の遠さと愛しさとが綯い交じり人間である事の難しさと人と関係する事の困難を覚えずにはいられなかった。
些かオーバーかもしれないが、人の一生と云うは己という仮面の下にあるやも知れず本来或る自分は表に出たがらないのが普通と云う事かもしれない。
先の草食カップルは矢張り私や多分伊集院の概念からすると青年と云うには
程遠い有り様で、見ていて痒くなってる自分がいた。
中国の学生やフランスの高校生がデモをする報道を見ながら矢張り日本の同世代の事を考えてしまう、勿論右に倣えと行動すれば良いと言う訳ではなく考えように依っては日本の若者は成熟しているのかもしれない。
しかし、本当に本質としての成熟なのか。
大人達が長きに渡りリーダー不在の政治経済社会構造を正に彼等達のみの目先族的利己回転を延々と続け、全くと言って良い世界鳥瞰視力力皆無の為政者の群れにより現実は没落の一途を辿り続けている。
現政権の幼さなさは彼等が目的としたターゲットからとうに外れ、政治家と官僚との判別が付かなくなって来ていて完全に出口無しとなっている。
国民の殆どが呼吸困難になっているのを知っているのかな目先族め。   
個人的に漠然とある青年とは、一切の現実に依らず一切依存せず、訳解らず自己の奥底が無音で挙げる声と如何に切磋するか、其の答えの無い奥底えの問いに対し、あるのは行動のみ。
行動に因ってしか自己存在証明の入り口には立てないと云う事だ。
何度も引用している漢詩に、李賀 作。《二十歳にして既に心朽ちたり》というのがある、唐の時代の詩だが役人になって始めて人として認められるのが李賀の時代だった、役人になれなかった自らを嘆き詠った詩だ。
私は二十歳にしてもう老人のようだ、と嘆いている訳だ。
今、日本の青年達の何%か本質的には青年の殆どが実は既に老人なのでは無いか。
上っ面、草喰う振りしても奥底は朽ち果て音も無く死して形骸のみがロボットの如く価値と云うには余りに儚い漂流世界なのでは。 
 
写真に写っているマリファナは35年前になるか我が友故山田理栄とインドの釈迦が生まれて死ぬ迄の地を廻った折りに、デリーだったと思うが植物園で150cm位の草が金網の檻に入っていて其れを撮ったものだ。
カリフォルニアでマリファナを合法化するか否かの投票が行われるとの事、其の結果取り締まりの財源が省かれ売買に依る税金が生まれると。
州が法律化しても連邦政府が其れを許可する事は無いだろうとかニュースがあった。
相変わらずだなあのイカレタ国は。
寄らば斬るぞ!
2010/10/11 03:48 AM
寄らば斬るぞ!
映画(十三人の刺客)と云うのを観た、つまらない映画だった。
程度の悪い黒澤ゴッコだ、脚本も荒っぽいしプロットにも無理が有る、只チャンバラごっこをやりたかっただけって感じで観てて何の感興も沸かなかった。
故工藤栄一監督が撮った同名の作品のリメイクなんだが如何にも監督脚本の力量不足は否めない,黒澤明が全てとは云わないがカメラワークにしても黒澤死して是だけの年月が経っているのだから少しは足下に寄れないものかな黒澤作品を今一度、シーン毎に克明に検証したら。
まあ、黒澤には三船敏郎と云う希有な俳優が同時代者として居たということはあるが、誰か関係者が言っていたが三船の立ち回りの速さは、映画フィルム1秒24コマの1コマづつ見たら三船の動きが圧倒的に速くブレて1秒24コマでは止まり切れないスピードだと。
今回の主役役所広司も何だか花が無く役者的に旬はなく映画が光らない。
どうでも好い事だが工藤さんと云えば昔日テレだったかなTVドラマ(傷だらけの天使)のポスター写真で萩原健一を撮った折ショーケンに、悲しい役が有るからやってみないと言われ出た。
悲しい役とは、オカマの殺し屋、で髪はポマードでやや長髪をべったりと撫で付け歯を御歯黒に染め自前のセルリアンブルーの別珍のスーツに胸に紅いバラを一輪差してといった格好で工藤さん監督でやったが、何時も仕事柄OKAMAは周りにいてシナリオに有るオネエ言葉は慣れ親しんでいた筈が、イザ台詞となったら喉から出ず参った事があったな。
今年のNHK大河ドラマ(龍馬伝)は比較的観ているが、最初の方での問題は武市半平太をなんであんなに長々と引っ張るのであった、武市等さっさと通過して良い人物だし歴史物としてもなんでくどくどとやってるの訳判らない、ドラマ・ハゲタカ・つながりで何か有るのって勘繰ってしまう。
NHKの癖と云うかドラマは固よりドキュメントに至る迄、何でこうもお涙頂戴の 情緒主義 なの。
観てていい加減馬鹿にしてるのかって思う時がある。
大河にしても幾らジジババが視聴率としても日本人と云う国民性に対しての偏見ではないのか、ワンパターンの云ってみれば泣かせ方の程度低く質が悪い、NHK自身気が付かないのだろうが如何に前近代的資質 情緒主義 であるか創り手が。
其れとね、大河の役者さん達なんであんなに何かと言えば大きく目を剝いて大きな声で殆どの台詞を舞台であるまいし怒鳴ってるの、最近のTV性能いいから聞こえてるよ、やってること学芸会だ。
求むプロフェッショナルに立脚したこけ嚇かしではない 驚きの世界観 を。
骨とダイヤモンド
2010/10/22 04:58 PM
骨とダイヤモンド
先のメッセージで私が死んだら火葬した骨は燃えるゴミにでも捨てる事云々を書いたのに、何処の何方かは知らないがこんなメールが帰って来た.
(スイスに遺骨から炭素を抽出し高温高圧を掛け人工ダイヤを作る技術が有ります)と有った。
調べると可成り純度も高く天然ダイヤにも勝るとも劣らないと有る。
まあ、もっとシッカリ裏を取ってみないと真意の程は定かならずでは有るが、面白い。
下手をすればおかしな商売を考える輩が出てこないとも限らないし、大いなるガセかも知れないし今後の事としよう。 其れとは関係ないが骨とダイヤモンドと聞いたとき連想したのは古いポーランド映画で「灰とダイヤモンド」を思い出した。
戦時下の孤独な暗殺者の話しだが、私の若い時のアイドルと言えば洋はジェームス・ディーン和は石原裕次郎だったが、私より一回り下の世代のショーケンや松田優作が憧れた役者に此の「灰とダイヤモンド」の主役ズビグニエフ・チブルスキーと云う役者で東側のジェームス・ディーンとも言われ何処と無く演技と云うか存在感がディーンに似ていて後に自動車事故で亡くなっている。
スイスの骨ダイヤと灰とダイヤモンドは何の関係もないがジェームス・ディーンもチブルスキーも優作もはたまたロンドン公演直前に亡くなったKING of POPsマイケル・ジャクソンも云ってみれば若死にだ。
何故生を疾走するスーパースター達は早死にするのだろう、条件状況等夫々の有り様を極客観的に辿れば彼等が突発的な事故も含め何故生を早く終えるのだろう、仮に人の一生をガラスのコップに例えるとして生きる日々を水として少しずつコップの水は増えて行きやがて溢れる。
よく寿命と云うのは生まれた時から決まっていると云うがスターに限らず早死にする人はコップが小さいのか水の質が常人とは違うのか。
三島由紀夫は自らコップを溢れさせたが作家として「豊穣の海」が限界だったかも知れないがもう少し生きれば多面的に世の価値観として通用した筈で矢張り惜しまれる。
溢れこぼれ落ちる時点を死とすれば其れは100才で死を迎える人と50に満たない人では単純に時間差とすれば随分な違いで私の歳迄生きて来ると妙に何か是是と云って明確に判別できるものではないが残るものがあって若死には当たり前の話し勿体無いような損なような気がしないではない。
先ず長生きすれば世の移ろいを見続ける事が出来る。
現実を見、意識すると云う事は只ボオッと見てる訳ではなく色々な問題意識として又感覚的に情緒的にと生身の人間は意識無意識に関わらず生身故の感応をする訳だが、ぐだぐだと長生きするより己らしく潔くやりたい事をやり切り老醜を晒さず逝くのが好いのかも知れないが其処も人夫々の価値観に因る。
私はと云えば68の現実は文明として当然衰退期に違いなく日々元気で有るが肉体は嘘を付かないしヒタヒタと過ぎ行く時間が絡み付く。
オーバーな話しになってきたが人は、何によって何故、何を生きているのとアイデンティティつまり己の存在証明を欲しがり求める、一体我々は何のために生きてるの、死に向かって。
人は誰も日常と言う時空から逃れる事は出来ず、個と客体の関係つまり自分と社会を如何に関係づけて生存していくかに尽きるが、其の時間のプロセスに於いて矢張り何の為の自分と云う問いが付いて回る。
先のスター達は常人とは可成り違う水を持っていた筈で彼等は当然意識していたと思うが想像を絶する自己プレッシャーを生きていたと思えるし濃厚過ぎる水を持ってしまった事の或る意味悲劇をも意識下に持ち溢れ揺れ動く水の波濤を泳ぎ切れなくなり死を持ったのでは。
私事だが、もう33年も前になるが畑正憲さんの動物王国に世話になっていた時に乗っていた馬諸共横転し右足が馬の下になり大腿骨骨折、膝半月板骨折、膝靭帯4本断裂、股関節損傷とまあまあの怪我をし釧路の病院に7月余入院した事があるが、結果右足は左に比べ2,5mm短く正座出来ず膝関節は完治せず当たり前とはいえハンデ。
大怪我し病院暮らしをした経験の有る人は解ると思うが骨折治療というのは大工仕事みたいなもので、何が大変かと言うと骨がくっ付いた後のリハビリで、担当医も言っていたが4ヶ月半仰臥したまま腰から右足首迄のギブスが長期に過ぎたと、故に右足は長期に渡り伸ばしたままで社会復帰には右足を曲げるリハビリが必要となる。
問題は此の膝を曲げるためのリハビリが半端なものでは無いのだ。
治療に関しては世の中に私等しれたものかも知れないが忘れようにも忘れがたい思いがある。
俯せになりリハビリの力持ちの先生が言ってみれば力づくで曲げるのだが想像を絶する拷問状態といって良く極度のペイン痛みを呼ぶ。
俯せの私はベッドの鉄格子を両手で持ち口にタオルを銜え、ウウーッと耐えに耐える涙なんかは遠の昔に枯れている。
其のペインの程度を言葉にするのは難しいが、脳を神経の塊としたとして、脳を泡立つ沸騰したお湯にボンと放り込んだと想像してみて下さい。
《バリバリ》と大きな音がする、腿の筋膜と筋膜が事故時の内出血がひどく糊となりくっ付いていたのが離れる音だ。
健康な手を一週間ギブスに入れたとすると手は5指は真っ直ぐ伸びたままで曲げるのは容易ではない。
個室の病室でものの15分位の事だがリハビリが終わり先生が去り独りベッドに座っていると、まるでサウナに入ったかと云う位の汗をかいている、冷や汗である、そして虚脱している。
リハビリが何ヶ月と続く中で人間とは可愛いもので、何故オレはこんな痛い目に遭わなければならないのだ、そんなにも悪をして来たかと考え始める。
親父が昔言っていたな、物事には然うなる原因が必ず有る、明晰に探すべき、と。
確かに普通の仕事では無いし私の場合写真家を超えたマルチと云うかクロスオーバーと云うか尋常ではない生き方を若さと行動力にものいわせ走っていた。
色々な事があった、女が自殺未遂をした事もある、一日に4人の女を毎日回り続けた年もあった1人2回づつ。
仕事に超二日酔いで立つ事侭ならずスタジオに横になったまま撮ったり。遂には二日酔いで起きられずスタッフ全員揃っているのに肝心の写真家現れずとか。撮影の為とはいえ真っ赤な海にしたくて可成りの量のペンキを海に撒いたり。国立公園の枯れた葦の原野に火を放ったり。夜の六本木で何処か大学の応援団と事を構えたり。駐車して並んでいる車列の車から車え渡り歩いたり。
等々其の内に典明記に書いていくが、此のリハビリ拷問に相当する事毎迄は無い筈だ。
リハビリは社会復帰には超えなければならない壁と覚悟していたが日々たった15分とはいえ明らかに精神的プレッシャーとなり私を覆っていた。
虚脱の中考えるともなく考え続けた、そうやって辿り着いたのは 答えは無い と云うことだった。
挙げ句の果ての逃げの結論と言えば然うかも知れないが、こうも考えられないか。
人は誰も自分は誰?自分は何?と自分に答えを欲しがり生きている、生きてる現実の中に其の理由(わけ)を存在証明を求めあがく。
だが 生きてることとは答えの無い問いをし続けていること 即ち人生と。
仕事や私事で色々な事毎が変遷流転し幻想として答えめいた答え擬きを得る事が有るやも知れないが、殆どは自分用の利己的な自己解釈でアイデンティティと云う言葉を自己同一性、正体、主体性と辞書に有るような解釈をしていると現実的には混乱するばかりで其れこそ答えにならない。
何だか話しが遠くえ来てしまった、何れにしろ殆どの現実に答え等無く、諸々目の前の現実に貴方なりの答えがチラホラしだしたら、其処迄来ているかも知れない 死 の時が。
ヒステリックチャイナ
2010/10/22 04:56 PM
ヒステリックチャイナ
尖閣問題、今回の政府の対応が総スカンをくってる、当たり前だ。
チョット幼稚で稚拙に過ぎる、流れを追ってみると、体当たりした中国漁船拿捕・船長以下を逮捕は尖閣を領土とする日本からは当然で海保は仕事をした迄。
問題は此の時点で何故有ると云っている漁船の衝突するビデオを海上保安庁として世界中に発信させないのかないのか。
刑事事件の初期捜査で発表出来ないと云うなら後の船長釈放は沖縄地検の独断となっているが、船長釈放は最高検も加わっての判断な筈で、其処迄検察がやるならビデオが事案の全てを具体的に証明している訳だから何故発表しない。
ひょっとしてビデオを撮っていないのでは、もしくは撮影に失敗しているとか。
此処が今回の事の分かれ道だった。
極端な考えかも知れないが拗れに拗れ国交断絶に迄行くかもしれないと、誰か官僚乃至政治家が考えていなかったのか、最悪の終わりをも考えに要れ現実を切磋琢磨するのが政治の仕事な筈だ。
ビデオが世界中のメディアに流れればどちらが是か非か具体として世界が判断する訳で、いくら何でも今の中国がイラン・北朝鮮並みに世界を相手にはしないと思えるが。
其の世界的認知の上でやり取りすべきだった。
レアメタルや富士通社員拘束等は当然有りうべき事と考えているべきで、政府、事に外務省は仕事しているのかと云えて首相はじめアメリカに行ってるからは通用しない。
事と次第で国交断絶も勘定に入れてあたるべきだ。
何故日本は日本人はこんなに目先的・足下的な近視眼的な予測と判断しか出来ないのか、何時から何を理由にこうなったか多方面の検証が必要。
沖縄地検、最高検が下したとされる船長釈放は嘘に決まっている、官房長官仙谷由人が釈放を決め沖縄地検の独自判断で釈放という図式を通せとゴリ押しとなったに違いない。
検察も大阪地検事案で立場が弱い、ちょっと考えれば解りそうな図式を海保の立場がなくなる事も承知の上で恐らく嫌々飲んだのだろう最高検伊藤鉄男次席検事頑張って下さいよ。
さて、こんなにも強気で手前勝手でヒステリックに外交を展開する中国とは、一国二制度とか自国だけの価値観に立った体制は13億いや15億は在ると思われる人口を食べさせるのは確かに容易ではない、畢竟世界中のエネルギーを漁る事になる。
昔日本が高度経済成長時代に世界からエコノミックアニマルと云いされた、当時思ったものだ、愚かな戦争そして過酷な戦後を乗り越え皆が頑張って手に入れた繁栄の何処に問題が在るのかアニマルと云われる筋合いは無い筈だと。
世界は日本の能力と繁栄にジェラスとやっかみも有ったと思うが、己を自国を自己的利己的にイメージ意識するのは矢張り目先族的であって世界的鳥瞰視力が必要でグローバルと云う言葉とは違った世界視力が有るか無いかが問題でアニマル云々言われた事も当時と今とでは違って見える。
中国自身も今の繁栄が幻にする訳にも一昔前のように共産党独裁強行路線のやり方をする訳にも行かない、何故なら国民が情報と其れ也の贅沢の味を知ってしまったからだ、早々此の繁栄を手放す訳にはいかない。
日本人と違い地方に於いても人民は異を唱える事を行動にする、其のデモを始めとする全国的広がりを為政者達は最も警戒している筈で天安門方式のリスクを幹部は痛い程理解している筈だ。
まあ、いざとなれば解らないがね。
そして重用な事は少数民族を入れれば46だったかの民族の集団と云う事、しかし其の殆どは漢民族なんだが、中国人の民族性を歴史的見地からしっかり把握出来ているか歴史と云っても盧溝橋以後の近代だけではなく 人類発祥の一つに中国の 夏 と云う国が挙げられた事が有るが、最低でも中国4000年じゃないが、どういうウネリを持って今日迄来たかを知る事。
中国料理を云いする時どの時代かは失念したが妊婦のお腹の子を食べたと聞いた憶えが有る、又、清の時代だからそんな昔ではないが 喫人 と云う習慣があった、詰まり人肉を食することだが市場には人の肉が売られていたとある。飢餓の果ての話ではなく習慣としてだ。
ここいらは日本的感覚としては理解不能では有るが歴史の事実として受け取っておかなければならない。
お隣韓国の民族性の一つにことにつけ日本的感覚からすると激しい感情過多等は、時に奇異にも写るが韓国の人からすれば日本人の怒らないハッキリしない、和をもって尊しとなす 等等の煮え切らない 鵺 のような中庸社会主義的国民性には解りづらい面も有るだろうし今回の中国ではないがゴリ押しさえすれば直ぐ折れると写っているのでは無いか、日本人が考える日本的美徳は世界にとって必ずしも美徳ではないと云う事、最早鎖国DNA延長国家では世界は渡れないと云う事。
中国政府は自国を本音のところでどう考えているのか、何処から見ても嘗て人間の理想郷としての社会主義はたった76年間しか持たなかった訳で現中国は其の前近代的主義と経済の混合を無理矢理捩じ曲げて一国二制度として、妙に半端な民主的?国家を装っている、幹部は言うだろう、国家の発展と人民の幸福の為の歴史的過程に他ならないと。
今回の尖閣は中国領土であると云う盲目的ヒステリックは尖閣の近代の歴史上の証拠を人民レベルに正確な情報として認知させているのか第一に疑問がある。
民意と云うより国家高揚興奮状態にある衆愚に水を刺す恐れと魚場価値に化石燃料の有無えの飽くなき欲望が中国を回転させる。
アメリカ・ハーバード大学、サンデル教授が説く、レバタリアン(自由経済主義者)リーマンな奴らを指して・正義と倫理・を講義するのをNHKで放送していたがサンデルが云うのは民主主義にとって最重要は・正義と倫理・で有ると。
最悪の大統領ジョージWプッシュの下アメリカは世界を病に貶めた。 
有りもしない証拠を捏造の上イラク・アフガン戦争、続く訳の無い図式の住宅金融問題から起きた世界的金融破綻と日常化したテロリズム社会。
随分前から時事話なると言っていた事の一つに・民主主義と人間・がある。
サンデル教授の哲学は概ね賛同出来る、しかし現実的に此の先も世界の国が民主主義の旗の下・正義と倫理・を行い高める共同体たるかと云う事で、私の知る些々やかな歴史と現実の中で甚だ哲学として論理としては良いが・人間の限界・をずっと思い続けていている者に取って理想論を超えるフォース(理)では無い。
切りがないので叉にするが何れにしても今回の中国に対する外交力はゼロ否マイナスと云えてこんな主体を持たない上っ面の偽物の文化文明を持った国体は無いと世界に白状してしまった訳で、まるでサラリーマン集団か政治学校生が司るリーダーの顔が無い為政者擬きの下、我々は果てして生きていると云えるのか。
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